大峰奥駆(北部)

・期間  2007年4月27日(金)〜30日(月)
・山域  大峰山脈(近畿・紀伊山地)
・形態  単独・縦走
・行程  洞川温泉→山上ヶ岳→大普賢岳→八経ヶ岳→釈迦ヶ岳→前鬼

※ 紀伊半島の中央部、脊梁山脈の尾根伝いに続く長大な山岳路、世界文化遺産に登録された歴史の道、山岳修験者の靡場、様々な形容句で称される大峰奥駆道の北部を単独で縦走した。

○まえがき
 
当初は、吉野(奈良)から熊野(和歌山)までを山中5泊6日で全山走破する計画を立てたが、ネットで色々な情報を得てみると、どうやら奥駆道の南部は視界の無い樹林の中を黙々と歩くだけのようである。

 修験者なら全山縦走して一人前として扱われるらしいが、山頂からの眺望を最大の喜びとしている俺としては、眺めの良い北部縦走に計画を練り直し、入下山のアクセスが比較的良い洞川温泉から前鬼口へ抜けるコースをとった。

 この時期の奥駆道は、北アルプスなどの山々と違い交通の便が悪く営業小屋も1箇所だけ、しかも、一日の歩行距離が長く水場も限られている。いずれにしても、今回は、今までにない厳しい山行になった。

大峰奥駆の主脈を眺める

4/27、28(金、土) 曇り
 自宅(20:30)→新宿(23:15)→洞川登山口(9:10)→稲村小屋(11:40-12:10)→山上ヶ岳(13:40-13:50)→小笹宿(14:40)
 新宿からの夜行高速バスと近鉄吉野線を乗り継いで、下市口駅に降り立った。ここから、バスで1時間余りを掛けて入山地の洞川温泉へ向かうのである。
 ネットで調べた8時27分の始発バスには、まだ30分以上もあるので駅前の土産屋でオニギリ2個を仕入れてバス停へ向かおうとすると、駅前に並んでいたタクシーの運転手が「バスは、9時27分だよ。」と声を掛けてきた。『えー、8時のは無いの?』と俺、「8時台は5月1日からだよ。」と運転手。駅頭のタクシー会社の看板には”洞川温泉まで9000円”と書いてある。2時間を9000円で買うのか?しかし、高いよなー。思考回路をリセットするために、再び駅の待合室へ戻るとザックを脇に抱えた中年3人組がベンチで懇談していた。
 事情を説明すると、運良く3人組も洞川温泉へ向かうと言う。早速に相乗りをお願いして、登山口までタクシーを飛ばした。
 洞川温泉の登山口は、日本名水100選の一つである”ゴロゴロ水”から始まる。自慢の名水を3L汲んでザックに押し込むと、21Kgの重さがズシリと双肩に食い込んだ。
 登山道は吉野杉の美林を縫って徐々に高度を上げて行く。その後は、暫く平坦な巻き道が続き、南側の視界が開けると休憩に丁度良い法力峠に到着した。ここで最初の休みを採り、煙草に火を着けると、山に来た実感がじわっと湧いてきた。青煙を吐き、空を見上げる。一面の曇天で雲の動きが早い。
 休憩も程々に、昼飯の予定場所である稲村小屋に向けて歩き出すと、周りの木々が杉から雑木に変わった。登山道を時折冷たい強風が襲ってくる。重いザックでピッチが上がらず、後から来る登山者に次々と抜かれるが、別に気にすることは無い。どうせ彼等は日帰り山行、俺は縦走、勝負する意味がない。右手に稲村ヶ岳の峻峰が見え始め、傾斜が徐々にきつくなったところで、突然、前が開けた。山上辻である。傍には稲村小屋がひっそりと佇み、先行者のパーティが弁当を広げていた。

     写真左:山上辻の分岐(左が山上ヶ岳方面、右が稲村小屋)    写真右:稲村小屋の様子      

 昼食はオニギリ1個と煎餅1枚で済ませて、冷たい北風に急かされるように歩き出した。
 右手に念仏山の頂上を見ながら左が切れ落ちた登山道を行くと、前方に山上ヶ岳へと導く険峻な岩場が見えて来た。岩場には幾段もの梯子が掛かっているので難儀はしないと思うが、昨夜からの疲れが出て来たのか、ピッチは段々と落ちてきた。息を切らせてゆっくりゆっくり歩を進めると、前方の鞍部に突然、人工物が現れた。そー、これが、あの”女人結界門”である。この山上ヶ岳は宗教上の理由から今も女人を拒み続けている。ジェンダーフリーのご時世に、この門から先は女人ご法度なのである。うーん、賛否は兎も角、思わず自分の股間の一物を確認、門前の薀蓄文をじっくり読んでから結界門をくぐっった。

写真左:山上ヶ岳を仰ぐ    写真右:女人結界門、女性への理解と協力を求める薀蓄が書かれていた
山上ヶ岳 女人結界門

 岩場に掛かる梯子に足を掛けた時、膝裏の筋に衝撃が走った。数年前の”丹沢縦走左膝ブッコワレ事件”のニの舞いは御免である。半歩ずつ足を置き、手の力を頼り慎重に登って行った。幾つかの梯子を過ぎ平坦になった場所で小休止した。こんな所で膝を壊してしまったらエライことになってしまう。膝と腿にバンテリンを塗り込んでマッサージをした。
 空は相変わらずの曇天に加えて、北側から黒雲が迫ってきた。風も冷たく春の陽気ではない。冷たい北風に乗って白い物が舞い始めた。花粉かと思ったら、何んと雪である。こんな時期に雪が降るなんて、山屋冥利に尽きるというものである。「雪よ降れ降れ、もっと降れ」と歌いたくなってしまった。
 雪は直ぐに止んだ。山上ヶ岳の頂上はもう直ぐだ。さー、出発しよう。階段を登り、鎖に取り付き、木々の密度が薄くなってくると、修験者の行場の一つである西ノ覗岩が見えて来た。そー、テレビなので良く紹介される岩峰、両肩にロープを結び付け、上半身を岩頭から乗り出して「親孝行しまーーす!!」と叫ぶ、例の場所である。
 傾斜も緩くなり道の両側に笹原が広がってくると、直ぐに山上ヶ岳頂上に到着した。西には稲村ヶ岳、北に吉野の山々が青白く連なっている。大峯山寺にお参りして、未だ閉鎖中の宿坊の軒先を借りて小休止した。

写真左:山上ヶ岳から稲村ヶ岳を眺める  写真中:山上ヶ岳の頂上  写真右:山頂にある金峯山寺と灯篭

 さー、ここからが奥駆の主稜線である。南へと延々と続く大峰奥駆道、先ずは今日の宿泊地である小笹宿へ向けて緩やかな坂を下って行った。
 膝の調子を気にしながら、暫く歩くと真紅のお堂から見えて来た。小笹宿である。先客はテント3張、ザックからテントを出す前にお堂の脇に建つ粗末な避難小屋を覗くと中は狭く、破れ掛けた銀マット4枚、薄汚れた毛布4枚が畳んであった。どー見積もっても4人で満杯である。思案の末、今夜はテントを張らずに此処に泊まることに決した。もし、後続の客が来て混雑するようだったら外に出てテントを張れば良いのである。それよりも、この奥駆道をテントを持たずに歩く登山者なんて多分居ないはずである。先着の優先権、一番奥にシュラフを広げて今夜の寝床を確保した。
 30分程して二人連れの若者、更に30分後に中年の単独者が到着して、小屋は遂に満杯となった。
 日没前にオニギリ1個とラーメンの夕食を採り、ホットウィスキーを2杯飲むと睡魔が襲ってきた。他の3人の予定を聞くと、若者二人は弥山小屋でもう1泊して洞川温泉へ下ると言う。中年単独行は、奥駆を縦走して、玉置神社から十津川村の折立へ下ると言う。「貴方は?」と聞かれ、『その中間、前鬼へ降ります。』と答えると、「はー・・」と何とも言えない反応。さー、明日から長い長い稜線歩きが続く。シュラフに潜ると直ぐに寝入ってしまった。
 夜中の2時に目が醒めた。同宿の3人を起こさないように忍び足で外へ出た。月の明かりを浴びて静かに煙草を吹かす。風も止み、月光に負けじと一等星がキラキラと瞬いている。明日は絶好の天気になるだろう。

写真左:小笹宿の立派なお堂 写真右:粗末な避難小屋(小屋の右手に豊富な水場がある。テント20張は可能)

 4/29(日) 晴れ
 小笹宿(6:00)→大普賢岳(7:50-8:00)→七曜岳(9:20)→行者還岳(11:00-11:10)→行者還小屋(11:40-12:20)→弁天の森(14:50-15:00)→理源大師像(15:30-15:40)→弥山(16:30)
 4時30分に起床、シャリバテにならないように、ミニチキンラーメンとカロリーメイト1本の朝飯を食べる。予想どおり、早くも元気な太陽が輝き空は青く澄んでいる。シュラフを畳んでザックに詰め込んで、出発の準備に忙しい同宿者に声を掛け小屋を出た。
 今日の行動時間を10時間と読み、小笹宿のテント場を通過して緩やかな奥駆道を登って行った。朝の木漏れ日を浴び、ブナの落葉を踏みながら平坦な道を快適に飛ばすと、30分程で阿弥陀ヶ森の分岐へ着いた。ここにも”女人結界門”がある。どうやら山上ヶ岳へは、全ての辻々にこの関門が設けてあるらしい。女人を排する山岳信仰が未だに残る聖地、山上ヶ岳とは大そう厳格な山である。しかし、山が好きな女性が見たら何んと?感じるのだろうか。そう言えば、昨日、山上ヶ岳の草原をゆっくりと散策していた初老の夫婦を見た。ご主人は何を思い、奥様は何を感じて結界門を越えたのだろうか?。

写真左:阿弥陀が森の分岐       写真右:女人結界の門

 古来から延々と続いてきた山上ヶ岳の聖なる決意について、どうこう言う立場にはないが、俺的には、全ての山々は老若男女万人を分け隔てることなく、何時でもデーンと受け入れて欲しいものである。
 奥駆道は大普賢岳へ向けて南に伸びている。バンテリンのお蔭で膝の調子も良く、快適なピッチを刻むと、小普賢岳のピークからは大普賢岳の立派な山容が迫ってきた。
 天気は快晴微風で絶好、少しの頑張りで大普賢岳の頂上へ到着した。三角点を囲むように数人のパーティがお茶を楽しんでいた。ここからの眺望は素晴らしいの一語に尽きる。後を振り返ると、山上ヶ岳が緑の稜線を御椀状に広げ、遥か前方には八経ヶ岳が青白い空に向かって緑のピークを突き上げている。東には、台高の山々が脈々と連なっている。正に360度の大パノラマである。 

写真左:大普賢岳の頂上  写真中:山上ヶ岳の眺望  写真右:今日の宿泊地の弥山を遠望(中央右手の平坦な山)

 頂上を外れて一服していると、パーティの中の一人の女性に声を掛けられた。「山上ヶ岳の結界門には門番が居るんですか?」と彼女、思わず笑ってしまって『門番なんて居ませんよ。ですから、行こうと思えば誰だって行けますよ。』と俺、「行きたいけど、罰が当たらないかしら?」と彼女、『うーん、どうかなー。あの山に登ったからと言っても罪を犯した訳じゃないし、それだけで罰を与えるようじゃ。神仏としては失格じゃないですかねー。』と俺、「じゃー、今度、思い切って登ってみようかなー。」と彼女であった。
 行く手の遥かに弥山が浮かんでいる。今日の行程を考えたら、ここでゆっくりもしていられない。再び重いザックを担いで大普賢岳を後にした。次の目標は行者還岳であるが、尾根道は徐々に険しくなってきた。岩を巻き、鎖を伝い、木の枝を掴みながら進んで行った。七曜岳は狭い岩のピークで展望もない。裏に廻り込んで、鎖を伝って急下降、兎に角、南へ南へと歩を進めた。
 行者還岳への分岐、右は頂上、左が奥駆道を示している。頂上経由と決めて、登り出しからフウフウ言いながら大汗を掻いて、やっとのことで視界の無い行者還岳の頂上へ到着した。三角点にタッチして、周りを見渡すが下山路が見つからない。ザックを降ろして地図を見ると、頂上越えのルートはなく、来た道を戻るしかないことが分かった。うーん、登る前に確認していれば、ザックをデポして空身で来たのに後悔しても始まらない。 

写真左:疲れきった俺(行者還岳)       写真右:頂上の木々の間から大普賢岳が見えた

 分岐まで戻り、南側に周り込んで梯子と鎖で急下降すると、頂上からの下山路が無いことを納得した。南側は全面が垂直の崖になっているのである。そう言えば、山名の由来について「南から縦走して来た修験者(行者)がこの崖を見て、直登を諦めて廻り込んだことから”行者還(ぎょうじゃがえり)岳”と呼ぶようになった。」とガイドブックで読んだような・・・。
 道は更に急なガレ場を降り、行者還小屋へ到着した。水道もあるとの情報だったので、ここで昼飯を採ることにした。それにしても綺麗な小屋である。中に入るとログハウス風の造り、木板の臭いが芳しい。ラーメンを作ろうと水道へ直行すると、”飲料不適”の4文字が掲げてある。外へ出て水場まで戻るのも面倒臭いし、沸かせば大丈夫だろうと考え、早速にお湯を沸かしてラーメンの準備をしていると、昨日、小笹宿でテントを張っていた青年が入ってきた。彼も水を求めているらしい。沸騰済のお湯を差し出すと、喜んで水筒に納めてくれた。
 この青年(後に名前と年齢が判明=M氏)、奥駆道に何度も通っているらしく、弥山手前の登りが厳しいこと。明日は今日に比べれば楽な山歩きができること。そして、俺が下りる前鬼には公衆電話があるが10円でないと使えないことなど、貴重な情報をもたらしてくれ、なお且つ、お湯の代金だと言って数枚の10円玉を差し出して来たのである。
 ラーメンをすすり終えたところで、M氏にお礼を言って先に小屋を出た。暫く歩くと緩やかなアップダウンが幾つも続き、軽装の登山者との擦れ違いが多くなった。追い付いて来たM氏によれば、大峰山脈の最高峰である八経ヶ岳へは、この真下を貫通する行者還トンネルの脇に車を置けば、簡単に日帰りができると言う。成る程、地図を見れば普通の日帰りコースになっている。 

写真左:理源大師の座像   写真右:聖宝の宿跡

 弥山への急登を前にして、聖宝ノ宿跡に建つ立派な銅像(理源大師像)の前でM氏と一緒に小休止した。彼は、休憩の度にストレッチを繰り返している。それに比べて俺ときたら、ザックを放り投げ、先ずは水を飲んで煙草を吸いながら地図を睨むという、非常に怠けた且つ身体に良くない休み方をしている。
 陽はまだ高いので、焦らずにゆっくりと歩き出した。道はつづらの階段になり、高度は着実に稼げるのだが、脚には負担が大きい。まー、これが山登りなんだから仕方ないけど、フウフウ言いながらも今日の目的地である弥山小屋へ到着した。
 テント場には先客が数張、平坦で静かな場所を見つけようとしたが、中々良い場所がない。結果的に学生大所帯テントの近くになってしまった。しかし、ここのテント場からの眺めも最高である。東に目を転ずれば、台高の山々が、やがて訪れる闇に備えて橙色の西陽を浴びていた。
 小屋へビールと水を買出しに行く。”宿泊者以外立入禁止”の貼り紙があるので呼び鈴を鳴らした。数度の呼び出しで、やっと出て来た親父(と言っても俺より若い)の横柄さにはムカッと来たが、ここは大人の振る舞いを崩さず「有難うございました。」を返した。
 夕暮れ前にアルファ米にレトルトカレーという山では超豪華な飯を作ったが、半分も食べられずに吐いてしまった。その内に胃がキリキリと痛み出し、数年前の”奥秩父縦走腹痛脚痛ヘロヘロ事件”が頭に浮かんだ。あの時と似たような状態になってはたまったものではない。直ぐに胃薬を飲み、酒も程ほどにシュラフに潜り込んだ。

写真左:弥山小屋  写真中:弥山のテント場(奥の山は台高山地) 写真右:右手前が八経ヶ岳のピーク(中央奥は釈迦ヶ岳)

3日目に続く