奥久慈男体山
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![]() JR水郡線の西金駅 1時間に1本のローカル線にしては立派な駅舎だ ![]() 西金駅脇の駐車場 |
奥久慈男体山は、紅葉時期が最も注目を集めることは以前から知っていた。 しかし、今までこの山に足が向かなかったのは、1000mに満たない低山と言う理由だけでなく、自宅から遠い割には、“登り応え”に乏しい山だと考えていたからである。 それならば、“歩き応え”については、どうか? 西金から袋田までなら、満足のできる歩きが実感できるに違いない。 そうだ!山友のMさんが、歩いたコースをトレースしてみよう。 JR水郡線の西金駅の駐車場に愛車を置いて、沢沿に延びた車道を歩いて行った。 |
![]() 谷間の集落を歩く ![]() 道路脇のモミジ |
昨日の降雨で湿気が残り、谷間いの集落は濃霧に包まれていた。 晴れていれば、この辺りから“大円地越”の山々が見えてくるのだろうが、時の経過を待つより仕方ない。 西金駅で手に入れた観光ガイドに“弘法堂”の赤い文字が載っていた。 登山口へのルートから少し迂回するが、最近は、山登り以上?に仏閣に興味がある俺、当然、立ち寄るべきだと判断した。 果たして、どんな立派なお堂なのか? |
![]() 弘法堂 ![]() 弘法堂から大円地へ向かう |
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![]() 大円地の駐車場 |
大円地まで来ると、駐車場は満杯だった。 ここに車を止めて、男体山から大円地越の稜線を周回するコースも人気がある。 |
![]() 民家の間を行く ![]() 男体山が白く霞んで見えた |
車道が途切れると、民家の間を縫って細い砂利道が続いていた。
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![]() 左が健脚コース、右が一般コース |
民家の裏手から茶畑の道に入ると、直ぐに“健脚コース”と“一般コース”の分岐があった。 俺は勿論、健脚コースだ。岩と鎖を楽しもう! |
![]() 杉林の急登 ![]() 一つ目の鎖場の上で小休止 |
始めは杉林の急な道を登って行き、一つ目の鎖を登り切ったところで小休止した。 |
![]() 涸れた沢を横切る ![]() 紅葉が本格化してきた |
ゴツゴツした岩が堆積する涸れ沢を渡ると、周りの木々の赤みも本格化してきた。 |
![]() 男体山の西壁 ![]() 西側の景色 |
その後、幾つかの鎖を伝って岩場に取り付き、順調に高度を稼いで行くと、突然、視界が開けた。 この場所を示す標識はないが、勝手に“見晴台”と呼ぶことにした。 ネットでも紹介されていたが、ここからの眺望は抜群である。 西側には、久慈川を挟むように山々が重畳し、背後は男体山の岩峰が天を突き刺して見えた。 |
![]() 岩と鎖と青空 ![]() 順調に高度を稼ぐ |
煎餅を一齧りしてから、ザックを背負って、再び鎖の掛かった急傾斜を登って行った。 |
![]() 頂上直下にある東屋 |
見晴台から40分ほどで、東屋に着いた。 ここは、男体山の肩に当たる場所だ。呼吸を整えただけで頂上へ向かった。 |
![]() 頂上の男体山神社 ![]() 電波塔脇の山名標識 ![]() 西側の景色(富士山が見えた) |
男体山の頂上は、“老々男女”でごった返していた。 北関東訛り集団の一人が、西側を指差して「あそこに富士山が見えるよ!」と大声で叫んだ。 そうすると、道端の糞に群がる銀バエのように“何処、何処、・・・”とばかりに、アッという間に仲間達が集まって来た。 俺の周りは、尻上がりのイントネーションが特徴的な“茨城弁”若しくは“栃木弁”(=北関東軍団の老々男女)が騒々しく飛び交って、これじゃー、五月蠅くてどう仕様もない。 一通りの景色を眺めてから頂上を後にした。 ※2時間後、この軍団にアクシデントが待っていようとは、知る由も無い! |
![]() 小休止した場所 |
東屋まで戻って一服しようとしたが、ここも満杯なので仕方なく袋田方面へ歩いて行った。 登山道の脇に一人が休める小さなスペースがあった。 落葉に腰を降ろして、おにぎりを頬張っていると、頂上で出逢った北関東軍団が追い抜いて行った。 俺も数年先には、あの年代の仲間に入るが、決して群れることのない“一匹狼”であり続けたいと思った。 |
![]() 落葉を踏んで稜線を歩く ![]() 白木山への分岐 ![]() 真っ赤に染まったモミジ |
登山道には落葉が堆積し、足を踏み出す度にサクサクと乾いた音を発て、この時期ならではの気持ち良い尾根歩きが続いた。 白木山との分岐を過ぎると、登山道は西側に90度折れて、沢へ降りて行った。 100m程先を歩く北関東軍団のお喋りが、五月蠅く響いていた。 そうだ!軍団の騒音が聞こえないよう、少し距離を置いて歩こう。 落葉が降り積もった斜面を下って行くと、モミジが多くなり“小さな掌”を真っ赤に染めていた。 登山道の真ん中で北関東軍団が寄り集まっていた。 こんな場所で休憩もないだろうに「邪魔だよなー!」と思って脇を通り抜けようとすると、軍団の輪の中に一人の女性が足を押さえて苦悶の表情を浮かべていた。 輪から少し離れた所で、リーダー?の女性が仲間と連絡を取り合っていた。 「119番に助けを呼んだから大丈夫。○○さんには私と××さんが付き添うから、そちらは予定どおり行動して・・・」聞きたくなくても聞こえてくる大きな声。「お気の毒に、大丈夫かなー?」思う反面、“安易な救助要請は山屋の恥”と教えられた身としては、もし自分がリーダーだったらどう対処したか?考えてしまった。 119番のお世話になったか? それとも、自分たちで背負って下山したか? |
![]() 日溜まりで小休止 |
日当たりの良い尾根で小休止した。 一人旅では何処で休もうが勝手気ままだ。 |
![]() 第2展望台 |
第2展望台で本格的な昼食タイムを取ろうと思ったが、一組のカップルがランチの真っ最中なので、邪魔にならないよう写真だけを撮らせてもらった。 |
![]() 第1展望台 ![]() 男体山が見えた(中央の山) |
第2展望台から一旦下って、その分をそっくり登り返すと、第1展望台に着いた。 先客は一人だけ、休憩スペースも広く屋根付のベンチまで備えてあった。 ここでゆっくり昼飯としよう。何時ものように食前のビールを飲んでいると、尾根を舐めるようにヘリコプターが近づき、軍団にアクシデントがあった辺りの上空を旋回していた。 遥か下方の国道からは、救急車のサイレンが聞こえてきた。 そうだよね!地上から救助部隊が登って来る頃には、日が暮れちゃうもんね。 第1展望台は、別名“鍋転山(なべころがしやま)”と呼ばれている。 どうして鍋が転んだ山なのか知らないが、面白い名前に思わず頬が緩んでしまった。 |
![]() 見事な紅葉 |
月居山への急な登りに掛かった。 この辺りから、モミジの紅葉が一段と見事になり、赤い回廊を歩いている気分になった。 |
![]() 月居城跡 ![]() 月居山 |
月居山に着いた。 視界の無い只の雑木林と言った感じで、平坦な広場になっていた。 碑石には、佐竹氏の城郭があった場所だと書いてあった。 佐竹氏と言えば、戦国時代までは常陸の国を統治していた有力大名だが、関ヶ原の戦で徳川に加勢せずに中立を保っていたとして家康の怒りを買い、常陸54万石から出羽の小大名に国替えをさせられた悲劇の一族だ。 常陸太田市の「佐竹寺」(佐竹氏の祈願所、坂東33観音の一つ)をお参りした帰りに、近くあった「西山荘」(水戸光圀の隠居所)へ立ち寄った。 朽ち掛けた本堂が寒々しい「佐竹寺」、観光客が絶えない立派で賑やかな「西山荘」。400年以上経った今でも勝者と敗者の物語が現実のものとして残っている。あの時のギャップを、ふと思い出してしまった。 |
![]() 月居観音の石仏と灯篭 |
月居山から急坂を下ると、月居観音の前に出た。 若いカップルがキャーキャー言いながら、鐘楼に取り付いた。 誰が突こうが、鐘の音色に変りはない。重厚な低音が山全体に響き渡った。 |
![]() 前月居山への階段を登る ![]() 生瀬富士 ![]() 袋田の滝 |
ここから「袋田の滝」までは、観光客の領域である。 爺々婆々にはチョッと厳しい急階段だが、紅葉真っ盛りの名瀑を上から眺めようと、子連れの家族、若いカップルが次から次に登って来た。 木々の間から、生瀬富士が目線の高さに覗き、売店や食堂の屋根が真下に見えてきた。 手摺を頼りに、急な階段を一歩々々慎重に下って行った。 |
![]() 吊り橋と観瀑台 |
![]() 袋田の土産物屋 |
![]() JR袋田駅の滝 |
![]() 袋田駅から列車に乗る |