三頭山
・期間 2006年12月9日(土)
・山域 奥多摩
・形態 パーティ・日帰り 周回コース
・メンバー M、W、H、I、R
・行程 東京都民の森(森林館)→鞘口峠→三頭山(東峰)→三頭山(中央峰)→ムシカリ峠→三 頭大滝→東京都民の森(森林館)
※ 昨年のW氏に続き、今度はM氏の卒業山行、紅葉の終わった奥多摩の三頭山を昨年同様のパーティで歩いた。
12/9(土) 小雪
千葉(7:00)→都民の森(10:40)→鞘口峠(10:55)→三頭山(東峰)(12:10-13:00)→三頭山(中央峰)(13:10)→ムシカリ峠(13:30)→三頭大滝(14:00-14:20)→都民の森(14:40)
I氏の提案でM氏の卒業山行が決定し、去年W氏を送った仲間でそっくりそのまま奥多摩の三頭山へ登ぼることになった。
天気が崩れることは出掛ける前から覚悟していた。案の定、中央高速の八王子を前にして、暗雲の空から冷雨が降ってきた。この時期、奥多摩付近は雪になっても大した積雪にはならないだろうし、寒さ対策も万全のようなので、決行しても何ら問題はないと考えていたが、幹事の大役を仰せつかったRを始めとする一同は、決行の判断を今回の主役であるM氏に委ねることにした。
上野原から甲武トンネルを抜けて東京都に入り、檜原村の数馬集落を通過する頃から冷雨が小雪に変わった。M氏に山行の意向を確認すると、「行くよー!」との返事。まー、この人の性格からすれば当然の結果であるが、やっぱり、問うた我々が愚かであった。
視界不良のため都民の森の入口を見逃してしまい、風張峠まで走り登って来ると、道路脇の潅木は薄っすらと雪帽子を被り、駐車場は真っ白な絨毯を敷き詰めた雪化粧である。うーん、これは中々の風景、このメンバーで初雪の山を
登れるのは望外の喜びであった。直ぐにUターンして都民の森まで引き返し、駐車場のトイレの軒先で身支度を整えた。
M氏を先頭にW、H、I、Rの順で、森林館のトンネルを抜けて鞘口峠へ向けて歩き出した。それにしても、H氏は相変わらず三桁に及ばんとする体重を維持しているが、そのハンディにも係わらず元気である。しかし、M氏がトップを引きW氏がその後に続くと、何時ものことであるが、この集団は必然的、徹底的若しくは何となんと申しましょうかねー?的なスピード差が生じて、M、Wのウサギ組とH、I、Rのカメ組の間隔が恒常的に開いてしまうのであるが、今回は絶対的及び致命的な間隔になる前に常識的な距離を保ったままで鞘口峠へ到着した。(こうした状況を説明するのに、適当な形容詞が浮かばないため、この様に「・・的」を常套的かつ積極的に連記してしまう悪癖がRの慢性的かつ決定的な欠点である。)
この鞘口峠は晴れていれば、落葉した広葉樹の隙間から奥秩父の峰々が眺められ
るのだが、好転の兆しが見えない。M氏に「ここからは暫く急登が続くよー!」と声を掛けて、小雪がちらつく視界のない尾根道を黙々と登って行った。
人間の記憶は意外と曖昧なもので、ましてやRの記憶蓄積回路は、複雑な構造の割りには中身が軽薄で、しかも記憶因子の収納場所に至っては、バッタ屋の陳列棚のように雑然としており、思い過ごしも度々で、肝心な部分がボケてしまうことがあり、大事な記憶を掘り起こすのに一苦労する場合が多いのである。
したがって、この道を2年前に登ったときは、確かに「ブナの路」の最後の合流地点から東峰のテラスまで10分ほどで、頂上のテラスには5人ほどが座れる小さな屋根付ベンチがあったように憶えていたので、昼飯休憩には屋根の下でゆっくりできる旨をメンバーに伝えた。
今日は土曜日だが、この悪天候なんで「山に登る馬鹿者は俺達だけだよね。この山は俺達で独占じ
ゃー。」って、前を行くI氏に同意を求めると、突然、頂上から5人パーティが降りてきた。擦れ違いざまに軽い挨拶を交わしても、相手は冴えない表情。仕方ないよねー。この天気だもん、こっちだって冴えないよなー。小梅太夫じゃないけど、”チッキショー!”である。
先ほどの合流地点から想定の倍の時間を要して、2、3センチの薄雪で真っ白になった三頭山東峰のテラスへ到着した。晴れていれば御前山、大岳、馬頭刈山、浅間尾根などが眼前に一望なのだが、この現状ではどう仕様もない。どう仕様もないと言えば、例のテラスの屋根付ベンチの件である。Rの記憶は見事に外れて、テラスの中央には青天井のベンチ、北側の壁沿いには屋根と呼ぶには情けないほどの短い軒が「こんな粗末な姿で申し訳けなかったねー。Rさん!」って言わんばかりに張り出していた。勿論、5人の大人がその傘下に避難するようなスペースには遠く及ばなかったのである。しかも、その軒下には半間ほどの幅で棚台が据えてあるのだが、腰掛けるには高過ぎて、何とも使い勝手が中途
半端なのである。そこで、エーイとばかりに5人分のザックを軒下の台に載せ、我々は零下に及ばんとする寒気の中で、青天井のベンチを囲んで神聖かつ荘厳な乾杯の儀式を済ませたのであった。それにしても、パッコン、プッシューに続き、ゴクゴクと喉に染渡る泡々のビールは、山の頂上では欠かせない逸品であることを改めて痛感した次第であった。メデタシ、メデタシ!!
ビールが空になったところで、昼飯の準備に突入する訳であるが、このメンバー、何時も各々で好きな物を勝手に作って勝手に食すというスタイルを堅持し、正に山での飯に関しては全く協調性がない。今回もカップラーメン派、袋ラーメン派、おにぎり+味噌汁派の複数の派閥に分かれて、喜びとともにその好物を空腹の胃袋へと流し込んだのであった。(この様な昼飯習慣になってしまうのは、幹事であるRの責任である。一察するとバラバラな集団に見えるが、幹事からの「昼飯、行動食は各自で準備すること。」と明記した注意事項をメンバー各々がキッチリと遵守している。つまり、換言すれば自己責任を忠実に履行し、管理・統率された
素晴らしいパーティと言えるのである。)
食事を終える頃には雪は止んだが、その代わりに風が強くなり、テラスの周りを被っている裸の木々が大きく揺れて、枝先に成長した樹氷が散弾の雨霰と化して我々を襲ってきたのである。例えれば、悪ガキが木に攀じ登って、枝を揺すり氷の粒を浴びせているかのように、定期的にザーザー、シャリシャリ、ブツブツブツの繰り返しであった。
三頭山は名のとおり、東峰、中央峰、西峰の三つのピークを成している。再びザックを背負って中央峰へ向けて歩き出した。東峰から一旦下って、少しの登りで中央峰へ着いた。この頂上は東峰に比べて暖かく、風がない分だけ、こちらの方が圧倒的に快適であった。また、この場所は南側が開けて、晴れていれば遠くに富士山を拝めるのだが、この天気ではどう仕様もない。正面の大きなパネル写真で我慢して、そのままムシカリ峠へ下っていった。笹原に
積もった薄雪、小枝に着いた樹氷、あー、もう完全に冬なんだなー・・・と実感する風景であった。
階段状の歩きやすい道を下ってゆくと、直にムシカリ峠へ到着した。天気が良ければ、この先も尾根伝いに進み、大沢山を登って「深山の路」から「石山の路」を周回するコースを歩く予定だったが、この天気なので、東へ折れて三頭沢沿いの「ブナの路」を下ることにした。
沢沿いの道は尾根と違って風もなく歩き易い。沢音を聴きながら、気持ち良く下って行くと、前を歩くI氏が尻餅を付き、Rの心配顔に照れ笑いを返してきた。沢幅が広がり水量も多くなってくると、程なくして三頭大滝に到着した。傍の休憩舎に入って驚いた。新しく綺麗なログハウス風の建物で、室内照明まで完備され、そんじょそこらの山小屋よりずっと立派である。流石に東京都だねー、金掛けてるねー。
滝見用に造られた立派な吊橋から三頭大滝を見学後に、森林館へ向けて歩き出した。ここからは完全な散歩道、木材チップを敷き詰めたふかふかの歩き易い道である。途中、怪しい新興宗教系とおぼしき青年集団と擦れ違った。「こんな集団がこの天気にも係わらず、こんな場所まで来るんだから、きっと怪しい集団に違いない。」と勝手に確信しつつも、彼らに洗脳、解脱又は強要、脅迫、暴行若しく拉致されることもなく、我等中年5人衆は全員無事に都民の森の駐車場へ帰還したのであった。
<おまけ>
下山後は檜原村数馬温泉の三頭山荘に泊まった。
元々この企画は、簡単な山に登った後に温泉にゆっくり浸かって疲れを癒してから、「さー、飲むぞー!!」の宴会重視であったため、酒と料理の善し悪しは最も重要なファクターとなる訳であるが、何せ山奥の旅館なので、過大な期待は禁物であると考えていた。
しかし、一風呂浴びて兜造りの本館へ向かうと、個室の食事処が用意され、馬刺し、川魚の塩焼き、山菜珍味・・・etcの料理が、「さー。どうだ、参ったかー。」って感じの態度で並んでいた。
この何とも挑発的な料理を前にして、ここで参ってしまっては、我々5人衆の名が廃れるってことで(元来たいした名前ではないが)、「酒でもビールでもじゃんじゃん持ってきてねー!!」と女将さんに連呼し、何時もの如き“あー、こりゃこりゃ”の大宴会となってしまった。
翌朝は、お日様がキッチリと昇り青空も覗き始めた。この好天を逃す手はないとの考えが一致し、奥多摩湖経由で帰ることにした。途中、月夜見展望台からは雪を戴いた秩父連山を眺め、御岳神社のケーブル山頂駅からは新宿新都心の超高層ビル群を遠望し、遥か遠くの真白き日光連山をチラ見して、“余は満足じゃー”と唸りつつ帰葉したのであった。