鹿児島の旅


 
<2019.5.18(土)> 九州・鹿児島

 今年のGWは改元に伴う休日も絡んで10連休だ。
 
 
今年は、どこの山に行こうか?
 去年は東北だったので、今年は西に行ってみようかなー?
 
 先ずは四国の山旅で登り残した東赤石岳に行って、
 次に紀伊水道をフェリーで渡って奈良の高見山を登り、
 更に北上して鈴鹿の山・・・、魅力的なプランが浮かんだ。


 そんな矢先、GW突入の1週間前、
熊本県に住む大学時代の友人から電話があった。

 「R君、ちょっと困った問題が起きてしまったんだけど・・」

 『何があったの?』


 「千葉のK市に次男が住んでいることは知ってるよね。」
 『以前に聞いたことあるけど、次男がどうしたの?』

 「実は他にやりたい仕事があるらしく、今の会社を辞めて熊本まで自分で車を運転して帰ってくるつもりだったんだけど、急に体調を崩して飛行機で帰ってきちゃんだよね。」
 
『それで本人の体調はどうなの?』

 
「直ぐに地元の総合病院で検査を受けて大学病院を紹介されたんだけど、医者からは難病だって言われちゃったんだよ。」
 『それは大変だねー。』

 「病気の方は病院にお願いするしかないんだけど、本人もK市の駐車場に置きっぱなしの車のことが気になっていて・・・。」

 『車って、もしかして時間貸しの駐車場なの?』

 
「駅前のコインパーキングなんだって・・・。」
 
『コインパーキングって長く止めておくと、とんでもない金額を請求されるって話を聞いたことあるよ。』

 「それについては駐車場の会社に事情を話したので、少しは安くしてくれると思うんだけど。」
 『でも、いつまでも置いておけないよね。』

 「それと、引っ越し費用を浮かせたかったらしく、後部座席も助手席も家財道具が満載なんだって・・・。」
 『でも、運転が出来ない訳じゃないんだから、何とかなるんじゃないの?』

 「陸送業者に相談したら、荷物が積んであると回送できないって断られたんだ。」

 『荷物に責任が持てないってことかなー?。業者でもダメなら、しばらく我が家で預かるよ。次の休みに車を取りに行ってくるから、キーを送ってくれる?』

 「分かった、そうしてもらうと助かるよ。」
 『兎に角、車の状態を見てから、どうするか、ゆっくり考えよう。』

 「ありがとう!申し訳ないねー。」


 娘の友人に“町の便利屋さん”が居て、彼に相談してみたところ
 熊本まで2泊3日で回送できるとのこと。費用は日当・高速代・ガソリン代・ホテル代・保険代等々で、結構な金額を提示された。(商売上妥当な金額)

 町の便利屋さんに依頼するか、友人が我が家まで取りに来るか、俺が熊本まで持って行くか、三つの選択肢がある。
 息子の病気は難病だと言う。予断を許さない状態かも知れない。
 窮地に立たされている友人に三者択一を求めるのは気の毒だ。
 こんな時こそ、友人の気持ちを忖度すべきではないか。

 女房に事情を説明すると、答えは「お父さんに任せます。」だった。
 熊本までのコース、途中の宿、帰りの飛行機・・・、ザっと計算してみて2泊3日で十分なことが分かった。

 女房に「俺が熊本まで回送する!」と宣言して、友人に電話した。
 GW期間中は、宿も飛行機も一杯で身動きができない。
 ならば、5月の中旬に休暇をとって熊本まで行ってやろうじゃないか!

 次の土曜日にK市の駅前まで車を取りに行った。
 友人が言ったとり、車の中は家財道具が満載で後ろが視界ゼロの状態だった。
 長距離運転になるので、後ろが見えなと疲れるし、事故のリスクも高くなる。
 視界を確保するために、軽めのものを選んで特大の段ボールに詰め込み、宅配便で先に発送することにした。

 山と関連付けるのが俺の流儀である。
 友人の住む場所は、熊本県南部の町で鹿児島市内まで新幹線で30分の近さだ。
 2泊目を鹿児島市内にすれば、この日程で一山登って自宅に戻れる目算だ。

 そーだ、鹿児島には開聞岳がある。
 レンタカーを使えば登山口への移動も楽になる。

 5月16日の早朝に自宅を出発した。
 1日目を広島県福山市(約800km)、2日目の夕方に車を引き渡し(約550km)、友人と夕食を共にしてから新幹線に乗り、鹿児島中央駅前のホテルにチェックインした。

 
山陽自動車道の宮島SAから眺めた”安芸の宮島”
 
関門海峡大橋


 自宅を出発する時は、九州南部だけが悪天候の予報だった。
 明日の天気が気になる。小雨程度なら問題ないが、大雨になったらどうしよう。
 テレビでは、鹿児島県全域で大雨の予報を伝えている。

 窓を叩く雨音と道路を走る車の飛沫の音で目が覚めた。
 さぁー、どうしようかなー?
 スマホで予報を確認すると、薩摩・大隅地方に「大雨警報、雷・強風波浪注意報」が発令されていた。

 天気は俺の淡い期待を裏切った。
 こんな大雨じゃ、山に登る意味がない。
 登らない勇気も必要だが、夕方まで時間を潰さなきゃならない。

 レンタカーは指宿駅前に予約してある。
 キャンセル料を払うのも馬鹿らしので、雨の南薩摩をぐるっと周ってみよう!

 JR鹿児島中央駅の”指宿枕崎線”のホームに入ると、2両編成の黄色いディーゼル列車が止まっていた。
 今日は土曜日だが、乗客は疎らだ。
 この雨だし、余程の用事が無ければ出掛けないよなー。
 ”喜入駅”を過ぎると、左手の車窓に雨に煙る鹿児島湾が見えてきた。
 鼠色の海原が何とも憎たらしい。

 列車に1時間半ほど揺られて終着の”指宿駅”に到着した。
 降りた乗客は数人、どれも地元の人のようだ。
 
 レンタカー屋で手続きを済ませて車に乗り込んだ。
 ここは南薩摩の観光地だ。車の中には観光マップが備えてあった。


 さーてと、ナビの目的地をどこにしようか?
 マップを眺めると“日本最南端の駅”が目に留まった。
 俺は“山ちゃん”だが、ここは“鉄チャン”の気分を味わってみよう!

 ”JR西大山駅”にセットしてアクセルを踏んだ。
 風雨は増々強くなってきた。
 高速ワイパーに切り替えて、水飛沫を上げながら県道を下って行った。

 畑の中の小さな駅、”西大山駅”に着いた。
 駅舎もなく改札もなく“駅”と言うよりも“停留所”の風景だった。
 誰も居ないホームに入ってみると、日本最南端の駅を示す白い標柱が立っていた。
 その向こうに”開聞岳”の裾野が薄っすらと見えた。

 駅前広場から少し離れた場所に土産物屋があった。
 俺みたいな観光客相手なんだろうが、雨戸が固く閉まり赤い幟旗が雨に濡れていた。

 
鹿児島中央駅にあった開聞岳の写真
 
黄色いディーゼル列車に乗る
 
西大山駅の標識と開聞岳


 途中に“長崎鼻”の案内版があったのを思い出した。
 開聞岳を海岸線越しに眺める絶景地らしい。
 時間はたっぷりあるので立ち寄ることにした。

 長崎鼻の駐車場まで走って来ると、雨風が更に強くなった。
 ドアを開けると雨が吹き込んで来そうなので、降りずにそのままUターンした。
 
 長崎鼻の手前に開聞岳登山口の案内板があった。
 折角だから登山口のロッジまで行ってみよう。

 公園の中に立派なロッジが建っていた。
 駐車場には、6台の乗用車が雨に打たれて停まっていた。
 @鹿児島ナンバー(3台)・・・ロッジの関係者?
 A鹿児島「わ」ナンバー(1台)・・・レンタカーでこの山に来たんだ
 B名古屋ナンバーのSUV(1台)・・・荷台には寝具が入っていた
 C栃木ナンバーの軽ワゴン車(1台)・・・初老の男性が車内で身支度をしていた

 この天気で山に登るんだから、百名山の魅力は捨て難い。
 早々に登るのを諦めた俺だが、考え直そうかなー?
 いや待てよ、予報は悪くなる一方だ。やっぱり止めておこう。

 ロッジの中に入って管理人さんに登山客の様子を聞いてみた。
 「今日は3組だけだね」という返事が返ってきた。

 
開聞岳登山口の管理棟
 
登山口


 さてと、空港方面に移動するとして、次は何処へ行こうか?
 直ぐ北側に“池田湖”がある。
 その先、20キロほど走ると“知覧特攻平和会館”がある。
 この2つをナビにセットしてアクセルを踏んだ。

 車の中から雨の池田湖を眺め、知覧へ向かった。
 指宿スカイラインに入ると雨風が一層強くなり、周りの木々が音を発てて揺れていた。

 知覧特攻平和会館に到着した。
 ここ知覧の地は、沖縄戦線への特攻部隊の基地があった場所だ。
 ”特攻”・・・、第二次世界大戦末期に日本軍が南方から侵攻してく米軍に対してとった捨て身の作戦である。

 若い兵士が“死への片道切符”(大きな爆弾を積んだ戦闘機)を持ち、“皇国万歳!”と叫びながら敵の艦船に体当して行く。

 戦後の高度成長期に少年時代を過ごした俺は、戦争の悲惨さよりも日本が負けたことの悔しさを抱いていた。
 テレビやラジオでは”同期の桜”が流れ、戦争映画や兵隊漫画が幅を利かせていた時代で、“特攻”とは武士道や大和魂の最たるものだと思っていた。

 受付でもらったパンフレットには、特攻の悲惨な歴史が視聴覚できると書いてあった。
 館内は杖を突いた老人、壮年期の夫婦、若いカップルなど様々な世代の人達が展示物に見入っていた。

 展示コーナーに移動すると、特攻隊員の遺影とともに家族に宛てた最後の手紙が飾られていた。
 18歳の兵士が母親に書いた手紙、25歳の兵士が妻と幼子に残した手紙・・・、それらを一つひとつを読んでいると涙が出てきた。
 隣のご婦人も鼻水を啜り、入館者の嗚咽があちらこちらで聞こえていた。
 
 突然、安倍総理大臣が演説する姿が浮かんだ。
 安倍さんは、この場所に来たことがあるのだろうか?
 靖国神社への玉串奉納がとやかく言われているが、為政者の間違った判断で戦火に散った若者の無念さ、家族の悲しみ・・・、本当に分かっているのだろうか。


  時間は、あっという間に過ぎた。
 ちょうど昼飯時だ。知覧の市街地まで出て飯でも食おう。

 知覧は茶所で有名らしい。
 メイン通りには幾つものお茶屋さんが軒を出していた。

 知覧のもう一つの名所に“武家屋敷跡”がある。
 雨は小止みになったので、生け垣が綺麗に狩り揃えられ屋敷道を散歩した。

 
池田湖
 
知覧特攻平和会館
 
三角兵舎の復元
 
知覧の武家屋敷跡


 鹿児島空港まで1時間余りで行けるが、さて次はどうしよう?
 飛行機の時間は、たっぷりと残っている。

 地図を眺めると空港の北側に“霧島神宮”の赤い文字があった。
 俺は山ヤだ。霧島へ行こう!

 鹿児島空港を通り過ぎて40分ほど走ると、霧島神宮の赤い鳥居の前に着いた。
 雨はまた強くなってきたが、無病息災、家族安泰、子孫繁栄、商売繁盛、交通安全、安産子授け、火難除け、恋愛成就、国家鎮護・・・、そして今回の旅の安全を祈願しよう!

 実は、この霧島神宮には30数年前の梅雨時に参拝したことがある。
 冒頭に登場した友人の結婚式に出席した帰りだった。(我が愛妻は妊娠8か月の身重だったので結婚式には同席できなかった)
 その当時は、レンタカーで駆け巡る発想がなく、定期観光バスを利用した。

 その日も雨だった。
 この定期観光バスは予約制ではなく、主だった場所からフリーの客を乗せて観光地を巡る方式なので、一人で気軽に乗車できるメリットがあった。
 俺はJR霧島神宮駅からこのバスに乗り“霧島神宮”と“霧島高原”を観光する旅に出た。

 大型の観光バスがやってきたが、先客はなく空身の状態だった。
 いくら雨模様でも、ここは観光地だし、この後から多くの客が乗車してくるだろうと思い、俺は最後列の席に座った。
 バスが走り出し、その後いくつかのホテルに停まったが、客が乗ってくることはなかった。
 俺は気まずくなり、運転手とバスガイドの傍まで移動した。

 「今日は私一人ですか?」
 『そう、みたいですね』
 「私一人のためにバスを運転してもらうのは申し訳ないので、このまま降りましょうか?」
 『そう言う訳にはいきません。予定どおり運行しますよ。』

 運転手、バスガイドと三人の観光ツアーがスタートした。
 バスガイドさんは、若くて綺麗なお姉さんだった。

 霧島神宮に到着して、バスガイドさんの案内で本殿に参拝することになった。
 参道を歩きながらガイドさんが「この霧島神宮は・・・・」とマニュアルどおりの案内を始めた。
 俺一人のために、その口調でしゃべるのは止めて欲しい。それに幾ら仕事とはいえ、若い女性に傘を差させたうえで、ツアーフラッグを手に持たせるのは申し訳ない。
 『傘は私が差しますよ。そして、その旗は収めてください。それと、普通のしゃべり方でお願いできますか?』
 ガイドさんは、私の願いを笑顔で聞き入れてくれた。

 綺麗なガイドさんとの”相合傘のデート”は20分ほどで終了した。
 バスに戻ると運転手さんが、次は”霧島高原”へ行くと言う。
 雨で何も見えないし、行ったところで車外に出られそうもないので、丁寧にお断りした。

 霧島高原駅で降ろしてもらい、駅前の食堂に入った。
 ここでも客は俺一人。ビールを注文すると、中年のオバちゃんがビールの大瓶と焼酎用のコップを無言でテーブルに置いて、厨房の方に消えていった。

 そんな訳で、霧島神宮の赤い鳥居を見た途端にタイムスリップのスイッチが入り、バスガイドと二人で仲良く本殿に参拝した記憶が蘇ってきた。
 
 今回も傘を差しての参拝となった。
 朱塗りの柱が鮮やかな本殿に向かって静かに合掌した。

 
霧島神宮の赤い鳥居
 
霧島神宮の本殿


 鹿児島空港には、余裕の時間に到着した。
 土産物屋をブラブラする時間、ビールを飲んで飯を食う時間、たっぷりと残っている。
 
 今日までご当地ラーメンを食べていない。
 そーだ、鹿児島ラーメンを味わって帰ろう!
 ラウンジのラーメン屋の暖簾を潜り、ビールと餃子とラーメンを注文した。
 
 鹿児島ラーメンの味は、期待を大きく裏切るものだった。
 こんなものかと諦めれば良いのだが、値段が高い割には美味くも何ともないラーメンだった。

 楽しみだった開聞岳にも登れず、雨の中の観光地を一人で巡り、最後の最後に不味いラーメンで腹を満たしたが、この旅に後悔はない。


 出発の時間になった。
 土産の詰まったザックを背負って、保安検査場のゲートに向かった。

 
 ※ この日は屋久島で50年に一度の大雨が降り、登山道が崩壊して多くの登山者が下山でき
  ない状態が続いていることを、帰宅してからニュースで知った。