飯豊山縦走

・期間  2004年7月24日(土)〜28日(水)
・山域  飯豊山(東北)
・形態  単独・小屋泊・縦走
・行程  胎内→大石山→地神山→北股岳→大日岳→御西岳→飯豊山→三国岳→川入

※ 待ちに待った梅雨明け、今年こそ東北の山、憧れの山を歩きたい。何度も通える場所ではない。1週間の休暇を取って、新潟県の胎内から登り福島県の川入へ下るコースで飯豊山全山縦走にチャレンジした。今回は少しでも荷物を軽くしたい。テントは持たずに避難小屋を利用することにした。

7/24(土) 晴
 自宅(7:20)→胎内パークホテル(14:00-15:00)→胎内ヒュッテ(15:40)
 今日一日は旅行のようなもの、歩くことはない。
 上越新幹線で新潟まで行き、日本海側をローカル列車で北上して中条で下車、バスに乗り換えて終点の胎内パークホテルへ、ここで胎内ヒュッテまでの登山バスを待つ。入山を胎内からのコースを決めたのは、村営のバスが胎内パークホテルから足の松尾根の登山口まで期間限定で運行しているからである。
 14時、胎内パークホテルのバス停で村営バスを待つ。それにしても暑い。灼熱の太陽が人工冷気で柔になった肌を容赦なく突き刺す。何処か隠れる所は?と思ったら、すぐ傍に手打ちの蕎麦屋があるのではないか。そーだ、明日からろくな食事も出来ない。ビールに天ざる蕎麦なんて最高ジャン!!。
 食事を終えてバス停に戻ると小奇麗なマイクロバスが待っていた。運転手さんに『客は私一人のようですねー。』と言うと、「そーだなー、朝一番なら多いんだけど、この時間から入る人は少ないねー。」・・・・、結局、客は私だけで胎内ヒュッテまで連れて行ってもらった。
 ヒュッテへ到着して早速中へ入ると、誰も居ない。ヒュッテも私一人の貸切だー・・って感激していると、管理人が戻ってきた。管理人が居るなんて聞いてないよ。宿泊の手続きを済ませて話を聞くと、シーズン中の土日だけ泊まっていると言う。
 今夜は、管理人さんと二人だけのスイートな夜?、初老のオヤジなので間違いが起こるはずも無いが、違う意味での間違いを引き起こす破目になってしまった。

7/25(日) 晴/雷雨
 胎内ヒュッテ(6:10)→足の松尾根登山口(6:30)→滝見場(8:30-8:45)→大石山(11:40-12:30)→頼母木小屋(13:10)
 朝一番のバスに乗るために4時30分に起床した。どーも頭が重い。胃のムカツキもある。昨夜の深酒が原因である。止せば良いのに、管理人のオヤジに誘われて、ビールに始まり、日本酒で中締めて、最後は焼酎で打ち上げて、寝たのが10時を過ぎてしまった。
 
”二日酔いで山に登る馬鹿な中年男、足の松尾根から滑落して行方不明!!”、なんて新聞の見出しにならなければ良いが・・・なんて思いながら、身支度を整えてバス停に並んだ。
 20人乗りのマイクロバスは、満員の登山客を乗せて足の松尾根登山口への林道を走って行く。こんな山奥まで林道を伸ばしてどーするの?、いや、お蔭で登山口まで歩かなくて済むジャン!!・・・、複雑な想いでバスを降りた。
 いよいよ山歩きである。飯豊山への登りルートは何処も急峻で、結構キツイと滝見場から見下ろす??滝聞いている。比較的楽なのが、この”足の松尾根”と言われているが、何の何の楽などころか?キツイ登りである。しかも名前の如く、足元は松の根だらけで歩きにくい。加えて、登山道は延々と尾根をキッチリとトレースしているため、小さなアップダウンを幾つも繰り返えさなければならない。んーん、東北人(越後人)は偉い!!、尾根道だかンな!と覚悟を決めたら徹底的に真面目に頑固に何と言われようと忠実に尾根を切り開いて登山道が延びている。巻き道を造ろうなんて考えないところが、軟弱な千葉人と違い、実直で我慢強い東北人の気質なんだろーなーー・・。下らんこと考えてる余裕が有ったら、モーチョッとペースを上げてみろ!・・って、脳味噌が脚の筋肉に命令しても二日酔いの身体が言うことを聞ける訳がない。結局、殆どの人に置いてきぼりにされて、いつものマイペースでトボトボと登って行った。
 ゼイゼイハーハーを繰り返し、尾根の中間点である滝見場に到着したのは、8時30分になってしまった。太陽は今日も容赦なくねっとりとした熱線を浴びせている。風がないので汗も引かない。そう言えば、昨日この尾根で70歳の女性が熱中症で倒れて新潟県警のヘリで病院へ搬送されたとか、胎内ヒュッテのオヤジが言っていたっけなー、
”二日酔いで山に登る馬鹿な中年男、足の松尾根で熱中症に掛かり県警のヘリで病院へ!!”、なんて新聞の見出しにならない大石山ように、小まめに水分を補給することにした。
 再び歩き出すがペースは徐々に落ちて行く。今日はエブリ差岳を往復して頼母木小屋までの予定だが、このペースではエブリ差岳まで辿り着けば十分である。早速の予定変更で気は楽になったが、大石山の稜線はまだ遠い。
 登山道脇の木々がダケカンバと熊笹に変わると、左手に鉾立峰が見えてきた。もう少しもう少しと言い聞かせ、我慢して足を前に出すと、やっとのことで大石山に到着した。時計は11時40分、指導標脇の草の上にザックを放り投げた。この広場、昼飯に丁度いい場所だが、食事はゆっくり休んでからにしよう。煎餅とチョコレートを齧って、草の上で仰向けに寝転んだ。
 雷の音で目が醒めた。暫く寝暗雲の立ち込めるエブリ差岳込んでしまったようだ。上体を起こして雲の様子を伺うと、西から東へ暗雲が流れている。目指すエブリ差岳は雷雲が覆い、時折ゴロゴロと不気味な音を発している。いい加減にしてよ!、稜線の雷が一番怖いのに、これから雷雲の中へ突っ込んで行かなくちゃならないの?・・そう言えば、南会津の帝釈山で昨日落雷があり、登山者が1名亡くなったと、胎内ヒュッテのオヤジが言っていた。んーん、俺はどうしたら良いのか?、このまま予定どうりエブリ差岳を目指して雷雲の中を北へ進むか?、それとも南に進路を変えて頼母木小屋へ逃げ込むか?二日酔いから完全に回復した脳味噌で真剣に悩んでみるが、中々結論が出ない。バリバリと雷鳴が響いた。エブリ差岳は完全に雷雲に包まれてしまった。
 頼母木小屋山でのリスクマネージメント、この場合は雷雲の中を進むか?頼母木小屋へ逃げるか?だが、相手が天気じゃ喧嘩のしようがない。今回のメインは北股岳・大日岳・飯豊山の峰々を歩くこと、仕方なくエブリ差岳をパスして頼母木小屋へ逃げ込むことにした。
 頼母木小屋に着くと先客が5人、それぞれ遅い昼食を食べていた。私も直にザックを解き、定番のインスタントラーメンを準備した。
 食後の一服中に雷鳴が更に激しくなり、雨が降ってきた。逃げて正解だった。15時を過ぎると、打ち上げ花火のようなもの凄い雷鳴と大粒の雹が降ってきた。その時、避難小屋のドアが開き、4人組と2人組の中年女性が相次いで入ってきた。二組とも花を眺めながらゆっくり歩いていたそうだが、雷鳴に脅かされて慌てて逃げ込んできたと興奮気味に語っている。30分後、稲光とともに大砲のような雷鳴が轟き、小屋が振動した。この小屋も完全に雷雲に包まれてしまったようである。
 今日の同宿者は12人、それぞれが思い思いの場所に居を構えている。避難小屋を利用するのは今回が初めてだが、大抵の場合、話題の中心になる人物が自然発生的に出来上がるものである。今日は地元(新潟県黒川村)の単独オヤジがリーダーとなった。
 地元オヤジは、山関係の仕事をしているらしく、この辺り一帯は全て知り尽くしていると言う。この頼母木小屋を建てたときも手伝ったし、遭難事故が起こると消防署に頼まれて捜索活動に加わるらしい。”胎内”の語源を聞いたり、熊撃ちの自慢話を聞いたり、話の尽きない陽気なオヤジであった。
 雷鳴と豪雨は、止む気配を見せない。ラジオをONすると天気情報を放送中であった。この地方に”大雨洪水警報雷注意報”が発令されていることを知った。私の経験上、この天気(午前中は晴れ/午後から雷雨)は2.3日続くと思われる。明日から早出早着を心掛けよう。

7/26(月) 晴/雷雨
 頼母木小屋(5:00)→地神山(6:40-6:55)→門内岳(7:35-7:50)→北股岳(8:50-9:10)→烏帽子岳(11:00-11:10)→御西小屋(13:50)
 頼母木山頂上のお地蔵さんご来光とともに小屋を出発、朝の空気は何とも清々しい。昨日の雨で稜線の熊笹や這松はぐしょりと濡れている。雨具のズボンを履き、最初のピークである頼母木山へ向かった。5分程歩くと、何か?手持ち無沙汰な感じ、あぁーイケねー・・ストックを忘れてしまった。ザックをデポして大急ぎで小屋まで引き返し、ストックを持ち元の場所まで戻る。再びザックを背負って、5分程歩くと、何か?頭がスースーする感じ、あぁーイケねー・・帽子を忘れてしまった。再び大急ぎで小屋まで引き返すと、地元熊撃ち自慢オヤジが「今度は何を忘れた?」と問い掛けてきた。『スミマセン、そ門内岳の稜線こに干している帽子とタオルを取って下さい!』
 頼母木山のピークに到着した。立派な石柱とカラフルな布を纏ったお地蔵さんが山里の胎内方面を見つめていた。この清々しい天気が何時までも続けば良いが、多分今日も午後からは雷雨となると読んだ。先を急ごう。
 地神山の頂上に着くと南方面の視界が開けた。門内岳のスカイラインが綺麗な緑の曲線を描いている。沢に残る雪渓の白と草原の緑のコントラストの妙は、人間では決して創造できない。
 ここから北股岳までは、アップダウンの少ない緩やかな尾根が続く。西からの微風を頬に受けて、時折、薄っすらと汗ばむ身体を休める。花でも眺めながら気持ちいい稜線歩きをしたいが、どーも花はイマイチである。今年は雪が少なかったとかで、花もパッとしないらしい。稜線脇の草原には、咲き終わったニッコウキスゲとオレンジの花弁を目一杯広げたコオニユ右が北股岳 左が烏帽子岳リがポツリポツリと残っていた。
 門内岳の避難小屋で休んでいると、昨日の頼母木小屋で一緒だった60歳過ぎの男性が追いついて来た。聞けば、この御仁は地元の村上市の住人で毎年3度はこの山に登り、春・夏・秋北股岳頂上にそれぞれ違った魅力を与えてくれる飯豊山が大好きだと言う。
 北股岳と烏帽子岳が間近に迫ってきた。この御仁に同行をお願いした訳ではないが、歩くペースも同じ、休む場所も同じである。結局、御西小屋まで同じような間隔でそれぞれが歩くことになった。
 北股岳に到着し、村上市の御仁に尋ねた。『鳥居の向こうは日本海ですよねー。今日はガスって見えないようですが?』、「そーだねー、天気良ければ、日本海に浮かぶ粟島から佐渡まで見渡せるんだがねー」
 この北股岳は飯豊連峰のほぼ中央に位置する立派な山容をした山である。この山へは、山形県小国町の天狗平から3つの登山ルートがあるが、どれも急峻で時間も掛かるらしい。中でも石転び沢の大雪渓を登るルートが人気だそうだが、今年は雪渓がズタズタになっており、入山禁止に北股岳から見下ろした石転び雪渓なっているようである。
 登山道は梅花皮小屋の鞍部まで一気に下り、烏帽子岳まで一気の登り返しである。烏帽子岳で今日歩いたコースを振り返り、御西小屋へ向かった。烏帽子岳を下ると御西小屋までは気持ちの良い草原であるが、気持ちが悪いのが暗雲の上昇と雷鳴である。
 オイオイ、もー来ちゃったの?西の空から暗雲が次々と流れ込んで東の麓から上昇する雲と合流して更に勢力を増して行く。東の空でゴロゴロが始まると直に雨が降ってきた。又かよー!まだ昼前だよー。昼飯は今日も抜きなのー、どうしてくれるの?・・・って、烏帽子岳を振り返る空に向かって怒ったところで仕方がない。雨具を纏い、御西小屋まで急いで歩いて行った。
 14時前に小屋に到着した。今日もこれで行動終了、350ml=1000円の缶ビールを飲んで、16時頃に昼食兼夕食を採る。小屋の外は雷鳴と降雨、先程の村上市の御仁は本山小屋まで行くと言ってノンストップで通過して行ったが、大丈夫だろうか。もー、着いた頃だよね。小屋の無線機が何も言ってないから無事なんだろね。
 小屋のオヤジが聞いてきた。「貴方、頼母木小屋から来たようだけど、あと何人くらい来るか分かる??」、『そうですね。頼母木小屋に居たメンバーでは、大阪の4人組みのオバちゃんが御西小屋まで来るような事を言ってましたよ。』と私、「それにしても遅いよね。もー4時を過ぎたもんね。ひょっとして、この雷で梅花皮小屋で泊まる事にしたかなー、チョッと聞いてみベー」と無線機で梅花皮小屋に確認を取っている。どうやら彼女達、今日は梅花皮小屋でご宿泊のようである。
 御西小屋の今日の宿泊者は30人弱らしい。狭い小屋なんで、丁度満杯である。14人の団体が2階を陣取っている。話向きから東京からのツアー登山と分かった。若いガイド2人で12人の初老のパーティを統率しているようである。
 ガイドの兄ちゃんが1階に降りてきたので、酒の摘みにビーフジャーキーを進呈して話を聞いてみた。『是世話な話で申し訳ないけど、費用は?』と聞くと、黙って8本の指を立てた。『へー、そんなに高いの?、ところでメンバーの技量ってバラバラだよね。体調の悪い人も居れば、ワガママな奴も居るよね。特に老人は頑固だから、困るでしょ?」と聞くと、小声で「ここは厳しい山だって皆んな分かってるから、言うことを素直に聞いてくれてますよ。ただ、今回は体調を崩してる人が1人居てサブリーダーが殆ど付きっ切りですから、ペース配分が難しいですよね。」と言う。『このメンバーだと、どの位のペースで歩くの?』と私、「S文社の登山地図を知ってますか?あの地図の最新版の歩行ペースに休憩時間をプラスしてます。」とガイド、「知ってるよ。俺も使ってるけど、あの地図のコースタイムって、最近おかしいでしょ。私も遅い方だけど、今回18キロ背負って休憩を入れてもコースタイム切ってるよ。何か小屋とグルになってさー、営業臭いんだけど?』と私、「営業臭いかどうかは分かりませんが、私の友人でS文社の人間がいるんですが、最近の百名山は、兎に角高齢者の方が多いですよね。そんな高齢の愛用者から”コースタイムが間違っている。こんなペースじゃ歩けない。”というクレームが多いとか、それで最近の地図は高齢者に優しいコースタイムにしてあるそうですよ。」とガイド、『はー、ヤッと謎が解けたよ。俺もずっとS文社を使ってるけど、昔はコースタイムを切れないとき、あったもんね。確か?歩行タイムには、普通の人が10キロを背負ったペースって書いてあったけど、なるほどねー、最近は普通の人=老人なんだね。(笑)』
 馬鹿な話をしながらも、謎が解けてスッキリした。明日の晴天を祈願して、シュラフに潜った。

7/27(火) 晴/曇
 御西小屋(5:30)→大日岳(6:40-7:00)→御西小屋(7:50-8:50)→飯豊本山(10:20-10:30)→飯豊神社(10:55-11:10)→切合小屋(13:00)
 今日の予定は、大日岳を往復してから飯豊本山を登って切合小屋まで下る余御西小屋から大日岳を仰ぐ裕の一日である。昨夜、酒を酌み交わした小屋の兄ちゃん(と言っても45歳)は、麓の飯豊鉱泉の長男で1週間ほど此処に居座って登山道の草刈やゴミ拾いなどをしていると言う。私の予定を彼に告げると、切合小屋に泊まらずに無理してでも川入の飯豊鉱泉まで下れと言う。『何で?』と聞き返すと、「あすこのオヤジは・・・」と言葉を濁してしまった。馬鹿なことを言う兄ちゃんだなー、自分の宿に泊まれ?商売熱心もいいが、10時間以上も歩くことになるし、下りが苦手なんでと言い訳して丁重にお断りした。
 5時30分、サブザックに水と雨具だけを詰めて大日岳へ向かった。大日岳は飯豊連峰の最高峰で標高2128m、飯豊本山より少しばかり高い立派な山で、小屋の前からでもデーンとして見える。
 大日岳へは文平の池まで一旦下って、最後にキツイ登りがあると言う。成る程、最後の尾根が急傾斜に見えるが、空身なので余裕だろう。
 朝の清々しい空気を胸一杯に吸い込み、熊笹に残った雨粒を払いのけなが大日岳頂上から西大日岳ら、順調に大日岳への稜線を登って行く。今年の飯豊は花が少ないと言っていたが、大日岳は違っていた。登山道脇のお花畑には白や青の名の分からぬ花々が咲き、太陽の七色光線を気持ち良さそうに浴びている。写真でも撮ろうと思ったが、天気の良いうちに頂上へ立ちたいので先を急ぐことにした。
 歩き始めて、1時間10分で頂上へ立ち、西側の視界が開けた。遠くの山々は薄く霞んでいるが、目の前の西大日岳は写真で見た記憶のとおりに青空に綺麗な三角錐を描いている。頬に心地良い微風、誰も居ない大日岳の頂上で大好きなタバコを吸い至福の時を過ごす。
 何時までもこの景色を眺めていたいが、そうもいかない。登頂記念に指導標に抱きついてから、来た道を下って行った。途中、お花畑で名の知れぬ花々をカメラに収めて小屋へ戻ると、小屋のオヤジが花の咲き具合を尋ねてきた。カメラに収めた写真を見せると「イイデリンドウ」だと言う。へー!へー!へー!の3連発で感激、この山でしかお目にかかれない固有種だ。飯豊に来て「イイデリンドウ」に出会う。
登山家のR氏「イイデリンドウ」を激写!なんて、新聞の見出しには絶対にならないが、やったねー!!の一発で有頂天になってしまった。
 小屋で遅い朝飯を食べてから飯豊本山へ向けて出発した。なだらかな御西岳の稜線飯豊本山をのんびりと歩いていると、飯豊鉱泉の兄ちゃんが追いついて来た。ザックに括り着けた大きなゴミ袋を見ると、山の嫌な現実を見ているようで虚しくなる。ゴミを散らす不届きな登山者、一方で、彼らのお蔭で生活している地元の観光業者、オーバーユースとも言える最近の百名山、方や、登る人が居なくなり自然を取り戻した地元の里山、ツアー登山の是非と単独行の危険、何か考えさせられるものがある。そう思っている俺が山にとって一番の害毒かも知れない。
飯豊山山頂 目の前に飯豊本山が見えてきた。その立派な山容を眺めていると、答えの出ない難題は止めーた。山を歩ける幸せ、山に感謝しよう。そー、単純にヤッホーで良いのである。
 駒形山を越え、飯豊本山の頂上に立ったのは御西小屋を出て1時間30分後の10時20分であった。頂上には小さな祠が祭ってあり、朽ち掛けた指導標が西に傾いていた。コンクリートで固められた古い石柱には「一等三角点」の5文字が刻まれていた。こんな狭い頂上の一つ一つを見ても、東北の名山、信仰の山が一端が伺えた。
 雲が湧いてきた。飯豊本山からの眺めはない。仕方ないので神社の建つ本山小屋へ向かうことにした。
 本山小屋へ到着してザックを置いた。お参りしようとコンクリートブロックで造られた今風の神社の中を覗くと、宮司と髭オヤジ(本山小屋の主人)と飯豊鉱泉の兄ちゃんが酒を飲みながら世間話をしていた。3人が注目する中、奮発して100円玉2枚を賽銭箱に投入、御神体に2礼2拍手1礼のキッチリとしたお参りを済ませてから、本山小屋のベンチで一服した。急に下腹部が渋りだした。思えば今回の山行で、未だにキジ撃ちなしである。いつものことで気にしないが、でも出してこーかなー!とトイレのドアを開くと、とてもキジ撃ちできる環境ではない。見た目も酷いし、強烈な臭いが眼に沁みる。”下腹部のゴロゴロ”VS”強烈な悪臭”の対決は、戦う前に下腹部が戦意を失ってしまった。お腹のゴロゴロが引っ込んでしまったのである。
 その内に出るだろうから、気にしないことにして本山小屋を後にした。切合小屋までは此処から降る一方である。”一ノ王子”の岩峰を東に巻いて、登山道は一気に高度を下げて行った。途中、”御秘所”の鎖場を渡り、”姪権現”に合掌し、”草履塚”で一休みして、切合小屋に到着したのは昼の13時であった。
 宿泊の手続きを済ませてから外のベンチで昼飯を作った。チキンライスにビール付の贅沢な昼飯である。それにしても小屋のオヤジの無愛想さには腹が立つ。勝手口が開いていたのでビールを所望すると、声も出さずに顎先でカウンターへ来いと指示する。
 食後にベンチで一服していると、一人の中年男性が声を掛けてきた。聞けば、静岡からマイカーで大杉小屋まで入って、単独で大日岳山を往復すると言う。この静岡中年、この小屋に1泊2食で今日と明日に泊まるらしい。『ここのオヤジ、無愛想でしょ。』と私、「そうですねー。避難小屋とはいえ、一応、お金を取っての商売なんだから、もーチョット客扱いを良くれないと気分悪いですよね。」と彼、『ところで1泊2食で料金は?』と私、「7200円ですよ。」と彼、『へー!高いですね!素泊まりの私でも2500円、これって避難小屋にしては高いですよね。』と私、「確かに、・・・ということは、食事代が2食で4700円ってこと!高いなー。失敗した。(笑)」と彼であった。
 夕方になり、小屋のオヤジが夕飯の準備完了を告げた。ベンチで夕飯のカレーライスを作っていると、静岡中年がカレーライスを持って近づいて来た。「これが夕飯です。」と私に見せる。山小屋では定番のカレーライスである。『小屋の中で食べないんですか?』と私、「外で食べるように言われました。雨以外は外で食事だそうです。」と彼、『食事ぐらい。中でも良いのにねー。』と私、「旨くも何とも無い只のカレーですよ。これ一杯が2700円だと思うと、皿まで舐めたくなりますよ。(笑)」と彼、『舐めてもらった方が、洗う手間が省ける訳で、あのオヤジ、益々喜びますよ。(笑)』と私、「くそー、銀座の高級カレー店なら2700円のカレーでも納得しますが、この味じゃねー。」と彼、『私のレトルトカレーとどちらが美味しいか食べ比べてみましょうか?私のカレーは364円ですよ。(笑)」と私、「いやいや、貴方の方が美味しかったら、腹が立つので止めておきます。明日の朝飯、弁当にしてもらったんですが、2000円の弁当がどんな物なのか?楽しみです。(苦笑)」と彼であった。
 ベンチで夕飯の後片付けをしていると、静岡中年が弁当を持って近づいて来た。「これが2000円の弁当です。中を開けてみますねー。ほーら・・・」、包み紙を取った瞬間、二人して顔を見合わせて固まってしまった。何と!!中身は”ご飯+沢庵”だけの超質素なものであった。『食べ物を全部背負って来て正解でしたよ。(笑)』と私、「これでこの小屋の魂胆が分かりました。明日、此処に泊まるの止めます。」と彼であった。
 日が暮れたので、小屋へ戻ってシュラフに潜った。先程の静岡中年は2階で寝ているようだ。今夜も屋根のある小屋を一晩使わせ貰っている。テントの重さ2kgが無いだけで歩く負担も軽くなる。寝具なし、素泊まり1泊2500円の有り難さが身に染みて来た。しかし、静岡中年の気持ちも分からないわけではない。飯豊鉱泉の兄ちゃんが「あすこのオヤジは・・・」と言葉を濁した理由が理解できた。いくら山小屋と言っても、あんな露骨なボッタクリはない。ラジオを聴きながら、いつの間にかに熟睡してしまった。
 夜中の1時に目が醒めた。外へ出て空を仰いだ。星々が輝いている。風も無く静かな夜、タバコに火をつけると青白い煙が東の空へ消えていった。

7/28(水) 晴
 切合小屋(6:20)→三国岳(7:50-8:10)→地蔵沢水場(9:10-9:20)→上十五里(10:15-10:25)→御沢入口(11:15-11:30)→川入バス停(12:10)→自宅(21:00)
 今日は川入まで降って、風呂に入って自宅まで帰るだけの日程、川入から山都駅までのバスが夏だけの運行で一日2本しかない。切合小屋から大日岳最初のバスは9時30分発なので、間に合わない。2本目のバス、そー14時20分に乗るには・・・、おっとその前に川入集落の飯豊鉱泉で風呂に入って、ビール飲んで飯を食っての時間を計算して、6時20分に小屋を出発した。
 小屋を出て直に大日岳が綺麗に見える広場に差し掛かった。昨日登った飯豊連峰の最高峰である。空の青さ、雲の白さ、山の緑が旨い具合に調和している。今日が今回で最高の天気になりそうだが、これからは降るだけ、この景色も見納めである。
 種蒔山から仰ぐ飯豊本山種蒔山を過ぎて三国岳へ向かう途中で、チョットした道迷い。登山道の行く手に岩があり、ピークに立つと東側の砂の斜面にハッキリとした踏み跡がある。確信を持って砂の斜面をトラバースすると、これが結構厄介でずり落ちそうになる。きっと登山道が崩落して、仕方なく道を付けたんだろうーってことで、更に進むと踏み跡が消えて、ブッシュが行く手を阻んでいる。辺りを見渡すが道は見つからない。ウロウロしていると尾根の上から女性の声で「登山道は稜線ですよ。戻って下さーーい。」、ずり落ちそうな砂の斜面を戻るより、ブッシュに突っ込み薮コキした方が楽とみて、潅木を掻き分けて稜線に戻った。何のことは無い。下から見ると道はキッチリと続いている。先程の女性に感謝、感謝であった。
 御沢入口8時前に三国岳へ到着した。此処の小屋は建て替え中で、大工さんが最後の仕上げに動き回っていた。軒下を借りて小休止するが、それにしてもこの暑さには脱帽である。風も無く虻がうるさく飛び回っている。
 三国岳から下ると直に”剣ケ峰”の岩場に差し掛かった。鎖もあり、手掛かり足掛かりもしっかりしているので不安は無いが、両側が切れ落ちているので躓きでもしたら、天国へ直行なので慎重に下って行った。悪場も最後に差し掛かったところで、10人程の中年パーティが登ってきた。すれ違いも出来ないので原則どおりに道を避けた岩の上で待つことにした。一人通過、二人通過・・・、4人目の女性が岩場をトラバースしようとした時、何と!足を踏み外して「キャー!!」の声を残して、東側の斜面へ滑落してしまった。運良く潅木に引っ掛かり、5m落ちて止まったが、これがガレ場の斜面だったら下まで滑落してしまったに違いない。危うい場面に居合わせてしまったが、事無きで良かった。
 ここから登山道は、樹林帯を下って行く。強烈な日差しをブナの木々が遮ってくれるのは有り難い。上十五里、中十五里、下十五里を通過して、御沢入口に下山した。
 ここから林道歩き40分で川入集落である。飯豊鉱泉での風呂+ビール+飯・・・、乾いた喉が鳴る。砂利道を急いで歩き12時丁度に飯豊鉱泉に着くと、どうした事か?玄関には”午前中は臨時休業します。”の張り紙、ショック・ショック・ショックの3連発を打ち上げたところでどうにもならない。予定が狂ってしまった。直に頭を切り替えなければ!、バスの時間まで2時間以上、この集落に居ても風呂+ビール+飯にありつけない。タクシーを呼んで”飯豊の湯”へ行こう!!ってことで、再びトボトボとバス停まで歩いた。

あとがき>
胎内(たいない)
”胎内”って、普通は母親のお腹の中の意味、富士山麓にも確か?胎内って名前の名所があったと思うが、面白い名前なので語源を聞いた。飯豊山の北側(エブリ差岳〜北股岳)に降った雨が沢を下って下流で川となる。しかし、”胎内”には川が無い。(実は立派な川があるのだが)・・・、そー、ここで沢水は一旦、地面に潜って伏流水となり再び黒川村の盆地を潤すと言う。実に旨い名前である。山からの恵の水を子供と同じように、大切にしている昔の人は偉い。

切合(きりあわせ)
”切合”=”きりあい”と読んでいたが、正解は”きりあわせ”である。語源を聞いたら、飯豊の稜線は福島と山形の境界、つまり会津と上杉(米沢)の軍事的に重要な境界だったらしい。昔々、上杉がここの場所を越えて会津に進行しようとしたとき、会津藩の軍勢が必死に抵抗して、この場所で戦争になったと言う。つまり、会津と上杉が斬り合ったと言うことで、”切合”となったようである。結果は、上杉の敗退で今でも、この切合の戦は会津人の誇りだと言う。

飯豊神社(いいでじんじゃ)
信仰の山、飯豊山の山頂にあるのが飯豊本山神社で、川入から下った”一ノ戸”(いちのへ)の集落に飯豊神社がある。”一ノ戸”って南部の影響ですか?と聞くと、ここには飯豊神社の”一の鳥居”があり、それが短縮されて”イチノト”となり、何時しか”イチノヘ”となったと、路線バスの運転手さんが説明してくれた。この運転手さん、要所でバスを止めて、観光案内してくれた。こー言う田舎の気質が大好きだ。

山に登って、その地方の歴史を知ることが、もう一つの楽しみである。

                                  ※写真をクリックすると拡大します。

                                    飯豊連峰の夏の花々






コオニユリ



イイデリンドウ









バイケイソウ