偉大なる先輩


 偉大なる先輩(2006.4)

(その1・・・M先輩)
 PCでネットを始めて10年以上になる。初めは、恐る恐るでネットに繋いでいたが、何時しか山関係の掲示板に出入りするようになっていた。
 ある掲示板、ご近所の山関係の集まりであった。山の情報を得ようとして、勇気を出して書き込んだところ、貴重な情報が或る人から入ってきた。
 必然的に、その人と情報交換が始まった。メールの遣り取りで、同じ県内に居ることが判り、一緒に飲もうと言うことになった。最初は、私の職場の近くの飲み屋に誘ったところ、その先輩は伊勢からの出張帰りで「赤福」を手にして遣って来た。
 行き成り、「これをどうぞ!!」と差し出した。もー、最初から伊勢の「赤福」に参ってしまって、先輩のペースに嵌ってしまった。飲みながら話をする内に、偶然にも私の大学の先輩であることが判明した。その時から、”M”さん、”R”君の仲になって定期的に飲み会を重ねるようになった。
 Mさんとは、一度きり山をご一緒したが、流石に我が大学の登山部OB、色々と教わることが多かった。

(その2・・・K先輩)
 仕事の関係で或る部署を訪問することになった。その部署には、山に狂っている人が居るということは、部下から聞いていた。形式ばった挨拶の後、遊びの話になった。私はこの”K”氏のことを部下から聞いていたので、「Kさんは、○○の生まれですよねー。」と尋ねた。「そー、○○です。」と答え、偶然にも私の高校の先輩であることが判明した。
 先日、K氏の”山行報告会”を近くの飲み屋で開いた。たった4人の報告会、K氏の話を聴いてビックリ、私には絶対マネが出来ないと観念した。忙しい部署なのに、1箇月間の休暇を取って、たった一人でシュルパとコックの総勢4人を率いてヒマラヤの山々を登って来たと言う。
 「言葉は大丈夫だったんですか?」と尋ねると、「適当に喋れば通じるよ。でも、日本人と言ったら金をボッタくられるから、中国人で通していた。」って、豪快な一言。正に脱帽である。
 帰りがけに、小さな手提げ袋をプレゼントされた。袋の中にはエーデルワイスの押花が入っていた。ヒマラヤで摘んで、ガイドブックに挟んで密かに持ち帰ったと言う。
 先輩の大事な密輸品は、我が家の玄関の額縁の中で今も燦然と輝いている。