穂高岳
・期間 1993年 9月23日(金)〜26日(月)
・山域 穂高岳(北アルプス)
・形態 パーティ・小屋泊 周回コース
・同行 W,M
・行程 上高地→涸沢→奥穂高岳→前穂高岳→岳沢→上高地
※ 先月の表銀座に気をよくして、今度はその中の有志3名で穂高岳へチャレンジすることになった。時期は、紅葉真っ盛り、コースはポピュラーな周回コース、山を覚えて一番面白い時期なのだろうか?今年5回目の山行である。
9/23・24(金・土) 晴
千葉(22:00)→上高地BT(8:15)→横尾(10:30)→本谷橋(12:00)→涸沢ヒュッテ(14:30)
金曜日の夜、Mさんの車で千葉を出発して中央道の双葉SAで休憩した。深夜にもかかわらず、何人ものドライバーが休憩していた。私たちも簡単な夜食を採って、車に戻ると、何と!右前輪のタイヤがパンクしている。直ぐに隣接のガソリンスタンドに飛び込んで修理を依頼するが、キズが大き過ぎてどうにもならないと言う。SAのガソリンスタンドはこんなモンである。アルバイト君ではどうしようもないらしい。仕方なく応急用タイヤに履き替えて沢渡まで急いだ。
早朝に沢渡駐車場に車を止めて、タクシーに乗り換え上高地まで飛ばした。この辺、紅葉にはまだ早いが、涸沢はきっと見事な紅葉を見せてくれるに違いない。
横尾までは準備運動を兼ねた楽な林道歩きである。先月はこの道をダラダラ下ってきたことを考えると、天気は快晴でホンとに気持ちが良い。横尾には予定時刻に到着し、少し長めの休憩とした。ここで見ていると、登山者は7:3の割合で涸沢方面へ歩いて行く。やっぱりこの時期の穂高の人気は凄い。今夜の小屋の混雑具合が心配になってきた。
吊橋を渡って、登山道に取り付いた。沢沿いのなだらかな道を暫く歩くと左手に屏風岩が見えてきた。この岩壁はロッククライミングのメッカとのこと、成る程、岩壁に張り付いた何組かのパーティが遠望でき、我々には真似のできない芸当に暫し見とれていた。
12時丁度、本谷橋の河原へ降りて昼食とした。冷たい水で汗を拭い、早速いつもの昼食メニューを各々で作り始めた。WさんとMさんはラーメンで、私はスパゲティである。腹ごしらえが済み、涸沢へ向かって歩き出した。途中、正面に大キレットの一端が覗くとコースは大きく左へ向きを変え、石畳の階段状の登りとなった。ここの登りが結構キツイ、寝不足の体には応える。最後の登りを我慢して、2時30分に涸沢ヒュッテのテラスに到着した。受付を済ませて直ぐにビールを注文、今日はこれ以上歩くことはない。ゆっくりと景色でも眺めながら、酒に浸ることにした。
それにしても、天気は上々で北穂〜涸沢〜奥穂〜前穂の稜線(写真:←)が眼前に迫っている。写真で見覚えのある涸沢槍が見事で、カールの草紅葉が目に眩しかった。日本一の紅葉と形容されるが、正にそのとおりだ。小屋の混雑は8割程度、美味しい夕飯後は疲れのためか?朝まで爆睡してしまった。
9/25(日) 晴
涸沢ヒュッテ(6:00)→ザイテングラード(7:10)→奥穂高山荘(8:10)→奥穂高岳(9:30)→前穂高岳(12:10)→岳沢ヒュッテ(15:30)
今日は快晴、紺碧の空に稜線(写真:→)が輝いている。6時に涸沢ヒュッテを出発、ザイテングラードの取り付きで一休みした。ザイテングラード手前のトラバースあたりからWさんの調子が今一らしく弱音を吐いている。訳を聴くとシャリバテを起こしたらしい。「何言ってるの?先っき朝飯食ったばかりでしょ!!山荘まで頑張りなさい。」ってことで、山荘まで我慢させることにした
。今回のリーダーは私である。ゆっくり休む場所もなく、下からも上からも登山者が絶えない。彼には申し訳ないが、もう少しの辛抱である。
山荘前のテラスで一服、Wさんは早速ザックの中から”ぶどうパン”を取り出して齧っている。Mさんは山荘の中へ消えて行った。私はと言うと、山荘の裏手へ廻って西側の景色を眺めることにした。真っ先に目に飛び込んで来たのは見事な形の笠ヶ岳であった。飛騨の
名山とは聞いていたが、確かに立派な山で一遍で好きになってしまった。
Wさんの体調も回復したので、今日のハイライト、奥穂〜前穂へ向かうことにした。山荘から直ぐに梯子付きの岩綾となりガレた道を慎重に進み、9時30分に奥穂高岳の頂上に到着した。
ここからの眺めは超一級品であった。直ぐ南にはジャンダルム(写真:←)が城門の衛兵姿で仁王立ち、さらに南へ西穂岳への険しい稜線が続いている。北には涸沢岳の向こうに槍ヶ岳(写真:→)が天を突き、西には笠ヶ岳、遠くに白山の山並みが見える。東には八ヶ岳から富士までが遠望できる。正に360度の大パノラマであった。方位盤の上に座り山荘で仕込んだビールを取り出して乾杯!、やっぱり頂上にはアルコールが欠かせない。
たっぷり景色を楽しんで吊尾根から前穂高岳へと進んだ。この付近、ガイドブックでは滑落事故が多いと言う。私的にはそんなに厳しい場所でもないと思うのだが、確かに滑ったら彼の世へ直行の斜面が続いていた。
1時間ほどで”紀美子平”に到着した。平と言っても10畳ほどの平坦地だ。それにしても、”紀美子平”とは可笑しな名前である。岳沢から前穂高岳の道を開拓した”今田重太郎”の娘の名前を付けたそうだが、重太郎新道にせよ紀美子平にせよ、人の名前が地名として残るなんて素敵なことである。我々3人の名前なんて、精々が墓石に残れば良い方である。
ザックをデポして頂上をピストンすることにした。ここが思いの外やっかいな登りで、鎖もなく傾斜もきつい。両手両足を駆使しての急登、先月の槍の穂先よりも難儀して30分ほどで頂上に立った。
頂上(写真:↑)は平らで広々とし、ここからの眺めも素晴らしい、涸沢方面に続くゴジラのようなギザギザの尾根と傾き掛けた指導標が印象的だった。
再び紀美子平へ戻り、ザックを背にしてダケカンバが色付いた重太郎新道を下って行った。途中、登山道の真ん中に人間の糞があった。こんな場所でこんな見事な脱糞をする人ってどんなヤツなんだろう。確かに急な下りで逃げ場はなさそうだが、もうチョッと密かに若しくは申し訳けなさそうな脱糞であれば同情もするが、「どーだ!参ったか!!」って感じで、堂々と放置されている。頭にくる前に呆れてしまった。
テン場を過ぎて無事に岳沢ヒュッテに到着したのは、夕暮れにはまだ早い3時30分だった。今日は日曜日、小屋はガラガラでテラスは我々の独占だった。先月、槍沢の反省を肴に、ビール&ワインで夕食を待った。以外にも泊り客は我々3人だけみたいだ。広すぎる部屋で、好きな布団に潜り込んだ。
9/26(月) 晴
岳沢ヒュッテ(6:15)→上高地BT(8:15)→千葉(16:00)
9月の下旬、早朝は流石に冷え込みが厳しい。テラスから見えるはずの上高地は、厚い雲の下であった。
小屋のテラスで記念撮影をすることにした。三脚にカメラをセットしてMさんがセルフタイマーを押して小走りに我々の方へ・・と思ったら、霜でスリップしてテラスの欄干で止まった。欄干の広さからして、Mさんが何もしなければテラスから転落する所だったが、運動神経の良さが幸いして、反射的に両手を大きく開いて危うく難を逃れた。それにしても、下半身が欄干から飛び出して、うつ伏せになっている中年男の姿に申し訳ないが笑ってしまった。(写真:→)
岳沢を急いで下り、8時前には河童橋に到着して3日間の山行を無事終了した。